筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

思春期の体の変化とグラビアアイドル

アメリミシガン州にて)

 

フロリダ州のハイスクールの卒業アルバムに関する騒動をご存知でしょうか。80名以上の卒業女子生徒の写真がデジタル編集され、たとえば胸のあきが広い写真は洋服と同じ布で覆い隠されたりしていたそうなのです。それに対し生徒や両親は憤慨し、謝罪を求めているとのこと。

 

こういった問題はアメリカではしばしば起きるのですが、私はてっきり、「女子生徒が自分の着たい服を着る権利」に関する主張だと思っていました。もちろんそれもあるようですが、それに加えて彼女の親御さんたちが、「彼女たちの胸元を隠すような加工をすることは、成長過程にある体の変化を恥ずかしく思うようにとのメッセージを送っているようなものだ」と憤慨しているようなのです。("I think it sends the message that our girls should be ashamed of their growing bodies, and I think that's a horrible message to send out to these young girls that are going through these changes.")

 

なるほど!と思いました。自分の思春期の頃を思い出しました。たしかに体の変化はとても恥ずかしかった…!体の発育時期が平均的な女性生徒のそれとずれていた上にかなり急激に変わったので、自分の心がついていかず。家族すらその目線から逃れることばかり考えていました。夏でも上にパーカーを羽織り、さらしを巻き、猫背になり・・・その根底に「体の変化は恥ずべきこと」という考えがあったとまではいえませんが、でも「恥ずかしい」という感覚はあり、更にそれは日本での「体のラインは隠すべし」という文化と無関係ではないように思うのです。こちらの方のように堂々と自分の体型を受け入れ、見せ、背筋を伸ばして過ごせたらどんなにいいかと思います。

 

なお、日本では週刊コミック誌などで10代の女性アイドルが水着姿で表紙を飾ったりしますが、逆にそれはこちらでは全く受け入れられません。10代の女性たちが自分の体の変化を受け入れ堂々と胸を張っていく話と、彼女たちを「性の対象」として商品化するというのは全くの別物。日本で「ロリコン」という単語はカジュアルにも使われがちですが、こちらでは児童性愛者というれっきとした犯罪者になります。

10代の「アイドル」的な人気者はいますが、彼ら彼女らは同世代の同性の憧れになることが多いようで、10代から「かっこよく大人になっていく」見本を示すような存在。日本のように10代のアイドルの水着姿や下着姿の雑誌や写真集を大人が買っていくというのは「気持ち悪い」と思われています。

頑張っている彼女たちを否定するのは心苦しいですが、この日本カルチャー、何とかならないものでしょうか。恥ずかしいです。

日本は生きづらい

アメリミシガン州にて)

以下のニュースをご存知でしょうか。

 

(CNNより) 米ニューヨーク州に住むノア・ルイズ君(4)は、アイスキャンディーとアニメキャラクターの「スポンジ・ボブ」が大好き。アマゾンのサイトで「スポンジ・ボブのアイス」を見つけ、母のアカウントから早速注文してしまった。

母ジェニファ・ブライアントさんは時々、ノア君のリモート学習に自分のパソコンを使わせていた。その日はジェニファさんが別室にいる時、ノア君がアマゾン・プライムのアカウントに入り込み、注文手続きをしたようだ。

今考えると、ノア君はその後「51」という数字を一日中繰り返していた。ノア君はASD(自閉症スペクトラム症)の診断を受けていて、普段から同じ言葉を繰り返すことが多く、ジェニファさんはあまり気にかけていなかったという。

ところがまもなく、アマゾンのアカウントを共有している近所の姉妹宅に「要冷凍」の大きな箱が3つも届いた。

中に入っていたのはスポンジ・ボブのアイスキャンディー51ケース、計918本で、代金は2619ドル(約28万5000円)。外部業者が扱う商品のため返品はできない。クレジットカード会社からの返金も難しそうだ。

ジェニファさんはニューヨーク大学ソーシャルワークを学びながら3人の息子を育ててきたが、これでは今学期の学費が払えない。見かねた大学の友人が、アイス代の助けになればと、資金調達サイト「ゴーファンドミー」で寄付を呼び掛けた。

アイスは2日ですっかり溶けてしまったが、募金は24時間以内に代金の総額を突破。当初の目標をはるかに超えて、今も増え続けている。

ジェニファさんは、残った寄付金をノア君の療育に役立てる予定。自閉症がある子ども専門の教育を受けさせてあげたいと話している。

(以上CNNより転載)

 

このニュースが日本語サイトに載る直前、私はたまたまアメリカ人の友人たちとこのニュースについて話していました。彼らの感想は総じて「アマゾンへの怒り」。返金要請に応じないことへの怒りでした。コロナ状況下でも莫大な利益を上げているアマゾンは30万円程度の支払いなど痛くも痒くもないはずなのだから返金すべき、と。なんならCEOジェフ・ベゾスがポケットマネーででも払うべき、と。

 

それを聞いて「へー」と思いました。良し悪しではなく、アメリカも私のイメージより随分「左傾化」が進んでいるのかしら、と。成功者が莫大な富を手にするのが良しとされれるカルチャーがあると思い込んでいたので、彼らの反応に多少意外な気がしたのです。彼らはアメリカの中で貧しい階層の人たちではありません。「超絶リッチ」ではないけれど、おそらく「まあ裕福」な人たち。そういう人たちの中でも、「もっと平等になるべき」「貧しい人はもっと援助をもらうべき」「大企業や政府は富の再分配に力を入れるべき」との考えが強いんだなと認識しました。同時に、民主党のバーニーサンダース氏が今でも一定数の支持を得ていることも納得しました。

 

一方、このニュースが和訳されて日本で伝わった後の反応に、私は日本での生きづらさを感じたのです。ネットのコメントは全ての人の人の意見ではないことは承知していますが、それでも大半が「アマゾンは正しい」「子供がパソコンを使うにあたり注意して当然を放任している親が無責任である」「学費が払えなくなり寄付を募るなんて間違っている」「ましてや寄付が予定額に達しているのにストップせず我が子の教育に使うなんて間違っている」などなど、彼ら親子(基本的には親)を非難するコメントがほとんどなのです。

私自身も、「アマゾンとしてもここで返金を認めたら、認めるケースと認めないケースの境界が難しくなるだろう」と思い、返金しなかったアマゾンを批判するのは酷だと思います。アメリカではネット購入の3割が返品され、日本より返品が当たり前となっています。日本の「もったいない」精神もみなさんそんなに持っておらず、「大量消費・大量廃棄」に馴染んでいます。そういった文化差も前提にはあります。それでも、子供がパソコンを使うにあたり四六時中見ていないと批判されるなんて、日本での子育てはどんなに大変なことでしょうか。友人が寄付を募い、賛同した人たちが少額ずつ寄付をしたことを「間違っている」などといえる権利は他人にありますか?寄付の文化はアメリカと日本で全く違います。いい意味で、もっと気軽に根付いています。困った状況を見かねて寄付を募った友人も私は「いいね!」と単純に思いましたし、それを知った人たちが少額ずつ拠出して助けたことも「いい人がいっぱいいるね!」と思いました。友人も、ジェニファさんも、ノア君も、みんなハッピーでwinnwinの結果を生むなんてナイス!と思いました。それなのに日本のこのネガティブな反応・・・私はもうすぐ日本に帰国ですが、正直窮屈で、生きづらい空気が怖いです。少なくとも、寄付や文化の違いを理解しようともせずに他人の行動を「間違っている」などと断定、非難する・・・「人それぞれ違うね」というのが根底にあるアメリカで感じる楽さと対極にある窮屈さを感じたできことでした。

有名な若手俳優自死のニュースに気分が沈み、ALS患者の方が「殺害」される事件のニュースに考えさせられています。。

私も、生きているのは辛くて虚しいです。第一義的には体のしんどさに対して。第二義的には、そんな、思うように動けず思うように働けない状態でいることに対して。そんな状態で生きてていいのか、生きる価値があるのか、何のために生きているのか。

ですから最初にこのニュースを目にした時に思ったことは、「そりゃ生きてるの、辛いよね…」ということでした。元々活発でキャリア志向だったのは自分も同様です。そういった人が思うように動けない辛さや虚しさは自分も常に感じています。そう考えると、少なくない人が「本人の死にたいという気持ちに寄り添うべき」「安楽死認めるべき」と考えることに同意する自分がいました。今の自分でも生きるのが辛くて虚しいのだから、もっと動けなくなったら自分も一層死にたいと思うと思うからです。

しかしその後、日本障害者協議会の談話を読み、そんな風に感じた自分の気持ちこそ、「病気の状態で生きてるのは辛くて情けないこと」という社会の考えの影響を受けているのかもと気づかされました。みんなが「その状態ではそりゃ辛いね」「死にたくなるよね」と「分かってくれる」と、それはつまり、「その状態は情けないこと」だと「認められてしまう」ということですよね?それって、、、体のしんどさ以上に辛くて悲しいことのように思うのです。自分ではそう思っています。いわれなくても。ただ、周りの人にも「そうだよね」といわれると、「やっぱりそうだよね・・・情けない状態なんだよね、私…」と更に落ち込む気もするのです。「辛いことを分かって欲しい」という気持ちもあるので非常に勝手ではあるのですが。。

そう考えてみると、健常者でそもそもしんどくもない人が、本人の気持ちを想像するだけで「寄り添うべき」というのは違う気がし始めました。例えばこの方もブログに死にたい気持ちを綴ったり、死ぬための手はずを色々整えていたようです。「死にたい」気持ちは本当に持っていたのだと思います。そうだとしても、もし仮に誰一人として「そうだよね、死にたいよね、協力するよ」という人がおらず、みんなが「生きて」といっていたら、「しんどくて辛くて虚しいけど、生きていいんだ」と少しは思えたかもしれないとも思ったりするのです。請け負う人が出てきたことで、ああやっぱり死ぬに値する状態なんだと確信してしまったとか・・・これも全て仮説でしかありませんし、ご本人しか真実は分かりません。ひょっとしたらご本人も真実は分からなかった可能性もあります。ただ、少なくとも、周りの人が「〇〇すべきだった」「〇〇はまちがっている」などと簡単にいえないことだと思うのです・・・

 

しかしこの後、この女性に意識や聴力がある状態で視力を失う完全閉じ込め症候群(TLS)の症状が出ていたというニュースを読み、揺れています。。意思疎通として用いていた視力までなくす恐怖…しかも意識と聴力はあるという…はあ・・・

闘病生活とコロナ

以前も書きましたが、コロナに対する世間の人の声を聞いて、私は相当、外出できないことに慣れているなと思いました。外出できないだけでなく、自分の行きたいところに行ったり会いたい人に会ったり動きたいように動けないのはある意味「当たり前」なんですよね。「いつ終わるか分からないのが不安」という声もよく耳にしますが、それは病気も一緒ですし。それどころか私は無意識で「コロナが収束しても病気は治っていないだろう」と感じているから、コロナに対して「いつ終わるか分からないのが不安」という感覚は持っていないことにも気づきました。
そう考えると悲しい人生だなとも思い、悲しくなったりもしました。
 
という話を知り合いにしたところ、
コロナでなくても外出は制限されるし、終わりが見えないのは一緒といっていたことについて奥が深いというか、考えさせられたというか、心に残っています。」とお返事をくれました。「日本も少し前までは感染者がこのまま増え続けるのかどうかもわからず、外出できない状況も続き、経済的にひっ迫してくる人も多かったというのもあって、NHKなんかはテロップでずっと首都圏の各自治体の心の相談室の電話番号などを流していました。いつかわからなくてもいつかは終わるであろうコロナの状況でも文句を言ったり、心を病む人がいる中で、ずっと病気と向かい合い続けているすごさを改めて感じました」と。
 
私の愚痴をそんな風にいってくれるなんてありがたいです。
私にとっては闘病生活が長いことを突き付けられたわけで情けなくて悲しい以外の何物でもないのですが、「奥が深い」とか「考えされられた」なんていってくれる人がいる、ということが目からうろこでした。私は働きたいとずっと思っていますが、今後何らかの形で社会貢献できることがあるのであれば、病気をしたからこそのこういう感覚や経験を生かせる道があったらいいなと思いました。そしたら20年以上の闘病生活が少しでも報われる気もするのです・・・
 
以前同様病院に行けない状態が続いており、かなりきつい日々を過ごしています。ただ、これも単に「体調不良で出られない」よりは、「まあコロナだし」という理由も今は加えることができるので、情けない気持ちや悲しい気持ちは減るように感じます。出られないのは病気のせいだけじゃない、私だけじゃない、といい聞かせることができますので。

CMに出る人と風俗

アメリミシガン州にて)

以前アメリカでのCMについて書きました。有名じゃない人を起用している人が多いこと、あるいは日本に多い「見目麗しい俳優やアイドル(性別問わず)」をほとんど見かけないことなど。特に若い女性アイドルなどは皆無です。

 

若い女性アイドルがいないのは非ロリコン文化と関係しそうですが、有名人が起用されない理由としてアメリカ人が面白いことをいっていました。「有名人がCMをしているのを見ると、本業で稼げなくてお金に困っているのかなと思う」と!興味深い!歌手なら歌、俳優なら演技で稼げなくなった場合にCMに出るという考えが一般的だそうです。

 

また話は若干変わりますが、コロナ感染源として批判の矢面に立っている「ナイトクラブ」。アメリカで「ナイトクラブはある?」と聞いたら「もちろんあるよ!」との答えでしたがよくよく聞くとそれはダンスクラブやバーのことを指していました。女性が男性を接待する(逆もありますが)のはhostess bar というそうですが、バーに行きさえすれば女性と話せるのに女性と話すためだけになぜお金を払うのか理解できないということでアメリカではメジャーではない(not common) そうです。ストリップ(strippers)はあるものの、合法か違法かは州によるとのこと。North Carolina 州は違法。Michigan 州は市によって異なり、たとえばAnn Arbor は違法だけど隣の Ypsilanti やDetroit は合法などと違いがあるそうです。更に売春(prostitutes)はネバダ州のみ合法、他の州は違法!日本のような風俗は基本的にアメリカには存在しないのですね。この辺りはアメリカの土台にキリスト教の考えがあるからだそうですが、風俗が当たり前に存在する日本がちょっと残念になってしまいました。キリスト教の考えが土台にないだけでなく、男尊女卑(女性を道具、とまではいわないとしても下に見る)の文化とも結びついている気がします。「女性の地位向上」と政府は唱えていますが、この辺りのところから変えていかないと根底にある意識は変わらないのではないかと思います。

手帳は一元化が命

私は中学1年生からかれこれ30年近くもの間手帳を使っています。その分、自分なりに使い方のルールができてきていますが、いまだに迷うこともあります。

 

たとえばTODO リストは「今日やるべきこと」「数日中にやるべきこと」「今週中にやるべきこと」「今月中にやるべきこと」に分けて欄を用意しています。

来月以降のTODOは、その月のカレンダーの余白に書いており、その月になった時に上記TODO リストに書き写します。

つまり今の私の「やるべきこと」は基本的にTODO リストに一元化しているということになります。

以前は、たとえば「〇月〇日に会議あり、そのための資料作りが必要」であれば〇月〇日のカレンダーに「会議、要資料」と記入していました。つまりTODO リストではなくカレンダーに記入していたのです。そうすると〇月〇日が近づくまで視界に入らず、ややもすると直前になって焦ることになるんですよね。特にその日程が月初の場合、カレンダーをめくって初めてその会議予定が視野に入って「やばい」ということになりかねない。その結果今では、カレンダーの〇月〇日のところに「会議、要資料」と記入する以外に、TODO リストに「会議用の資料作り…〇月〇日まで」と書くようになりました。それが数週間先であれば「今月中にやるべきこと」欄に記入し、来週に迫ってきたら「今週中にやるべきこと」に書き換える、そんなイメージです。

カレンダーとTODO リストの両方に記入するのは一見二度手間ですし、締め切りに沿ってTODO リストの中でも移動させるのは面倒に感じるかもしれませんが、こうすることによって私は締め切り忘れが一切なくなっています。考えてみると学生時代から宿題を忘れたことって一度もないんですよね…自慢できることのない私ですが、これって自信を持っていいところなのかな…

 

手帳に限らず情報の整理に関しては、重要なことを忘れないため、漏らさないため、効率的に取り出すために、一元化が最も重要だと感じています。手帳以外に記録ツールが格段に増えた現在、情報の一元化に悩むことも増えていますが、自分なりの方法をこれからも模索していきたいです。

同じであることを重んじるか、違うことを重んじるか

アメリミシガン州にて)

以前より、アメリカでは車いすへの視線が心地良いと書いています。日本でのようにジロリと見られることがなく、でも必要な時は手助けしてもらえます。いい意味で特別視されていない感じです。そのことをネイティブの人と話したところ、アメリカでは小学校から、場所によっては幼稚園から、障害のある子供もなるべく多くの時間を特別学級ではなく普通学級で過ごすのがスタンダードだからではないかと話してくれました。生徒によっては別途サポートを受けたり特定の授業に参加できない場合もあることはあるけれど、限りなく可能な限り同じクラスで同じ授業を受けるとのこと。だから子供の頃から障害を持った人が身近に常にいる状態で育つそうです。その結果、別に障害のある人は「特別ではない」。勉強ができる子できない子、スポーツが得意な子、よく話す子、おとなしい子・・・色々な個性がある一つとしてたとえば「車いすに乗っている子」というのがあるに過ぎないと感じるようになるそうです。

 

これは大きそうですね。「人はそれぞれ別の存在」「考えは十人十色」というのが文化の根底にあるアメリカ。その一方で「似ていること」「同じであること」に重きを置く日本。日本では、「普通」と違うこと、「大多数」と違うことに対する目線が厳しいんだなと感じます。

 

それは強みでもあって、例えばコロナパンデミックへの対応として自宅待機や自粛が命令ではなくお願いに過ぎなかったのに爆発的感染が抑えられたことなどは、「みんなルールを守ってるんだから自分たちも守ろう」という意識の成果だと思います。ただ一方で、感染者への厳しい目線も生んでいますよね。たしかに繁華街に遊びに行って感染した場合に冷たい視線にさらされるのは百歩譲って理解できます。でもなぜ、医療従事者への差別が起きるのか、理解できません。

アメリカでは、医療従事者はヒーローです。日本では医療従事者への差別が問題になっていると説明しても、ほとんどのアメリカ人は理解できないです。そりゃそうでしょう、自らの身を挺して危険な仕事についてくれている人たちをどうして差別するのか、理解に苦しみます。そこには、日本独特の感染者への厳しい目線や、「自分たちと違う人(=感染した人たち、あるいは感染するリスクの高い環境にいる人たち)」という意識が根底にあるのではないかと考えます。少しだけでも想像力を働かせたら、自分だっていつ感染するか分からない、つまり「自分たちと似てる人」「自分たちと違う人」というカテゴライズには意味がないことが分かるのに・・・ただそれも、感染者が100人から200人でそのほとんどの感染ルートが分かっている現状は、「同じ」ことを重視する日本文化に勝るインパクトはないのかもしれませんね。1日5万人が感染しているアメリカではいつどこで誰がかかってもおかしくないので、感染した人への差別意識なんて生まれる余地がありませんから・・・

2つの軸による層分け

物理的な家の中の片付けにしろ、頭の中の整理にしろ、私は常に「層分け」をしていることに気づきました。そしてそれはほとんどの場合、2つの軸による層分けです。

 

たとえばTODOリスト。

ジャンルとしては家の中の書類や本類の整理同様【needs】【info】【study】【hobby】に分けられています。それらを横軸とすると、それぞれのジャンルの中に【すぐ(今日中に)やるべきこと】【数日以内にやるべきこと】【今週中にやるべきこと】【いずれやるべきこと】という時間軸が縦軸として存在します。

 

洋服も、【家の中の服】【ちょっとそこまで出かける時用の服】【人に会う時用の服】【特別な時用の服】という横軸と、【未洗濯の服(すぐ着るか洗濯するかが必要)】【洗濯済みの服】という縦軸が存在します。

 

食品も、【野菜系】【タンパク質系】【炭水化物系】【保存食系】【飲み物系】などのジャンルが横軸としてあり、それぞれに【賞味期限や消費期限が近くすぐに食べる必要があるもの】【1ヶ月以内に食べる必要があるもの】【1ヶ月を超えて置いておいて大丈夫なもの】が縦軸になります。

 

こういった物理的なものの片付けだけではなく、私の頭の中も、このような2次元ボックスの中にあらゆること(情報にしろ記憶にしろ)収納されているイメージがあります。そうすると必要な情報がパッと取り出せる気がするのです。

もちろん2次元の軸だけではきれいに収納できないものもあり、それらをどこに収納するかが大問題なのですが。

 

Black Lives Matter 想像できない恐怖

アメリミシガン州にて)

引き続き、黒人の友人とBlack Lives Matter について話しました。質問すること自体が失礼にならないか不安でしたが、彼女曰く、知らないんだから聞けばいい、と。アメリカで育ったわけでもない以上知らないのが当然なのだから、と。聞くということはこの問題に関心を持っていることの表れなので、「自分たちには関係ない」と考えもしないよりずっとずっとウェルカムだといってもらえました。

 

会話中最も印象的だったのは、彼女がI am afraid of the police. They might murder me. といったこと。「自分は警察を恐れている、自分を殺すのではないかと」ということです。最近のニュースの中で、アメリカにおいて警察が黒人差別をしていることが問題になっていますし、黒人コミュニティの中で、学校内にいる警察を排除しようという動きが盛んになっていることは見聞きしていたもののピンときていませんでした。私たち日本人にとって警察はむしろ安全の象徴。それとは真逆の観念が存在しているのです。

彼女曰く、警察は怖い。黒人の警察も白人の警察ほどではないが怖いとのこと。街中をパトロールしている警察はまだしも、運転中などはとにかく警察から逃げるように過ごしているそうです。それは「殺されるかもしれないから」。私には想像もつかない世界です。

昨年Uber のドライバーさん(黒人)が警察車両を見つけて「警察は嫌いだ」といっていました。私は「どこの国でも警察は嫌われるのね」などと話して盛り上がった(つもり)でしたが、自分の考えの甘さを今更知りました。日本での「警察が嫌い」だなんて、所詮スピード違反の切符を切られる程度の話。「殺されるかも」という恐怖が常に心の中にあるなんて、想像もできていませんでした。

 

世の中には、黒人は乱暴で犯罪率も高いから差別されても仕方ないという人が一定数います。でもそんな単純ではないのです。住むエリアや受けられる教育、住宅ローンなど全てにおいて差別され、結果的に貧しい黒人が増える。彼らの一部が強奪や窃盗などの犯罪を犯してしまう。結果、「黒人の犯罪率が高く」なってしまい、彼らへの偏見を助長してしまう。人は貧しさにより生きるために犯罪を犯してしまうのであって、肌の色が黒いから犯罪を犯すわけでは決してないのです。

メディアも偏見を助長していると思います。黒人による店舗強奪の映像が繰り返し流れる。「ほら、黒人は怖いでしょ」と浅はかに考える人が増える。偏見につながる…負のスパイラルです。

 

私は正直、肌の色と優劣に相関関係があるという発想が理解できません。きれいごとではなく、単純に意味が分からないのです。DNA解析でもされたのだろうか。差別はずっと昔からだからそんなはずはないし。黒人は背が高かったり力が強かったりして「怖かった」?いや、でも、白人と黒人を比べて身長や力に科学的な差があるわけではないだろうし、万が一そうだとしても「背が高くて力が強い」からって自分より下に見ることにつながりますか?ならないですよね…分かりません。

 

 

 

Systemic Racism の動画

アメリミシガン州にて)

世界的に問題になっているBlack Lives Matter. 状況も、背景も、それぞれの人の気持ちも、理解したい。完全に理解することは無理でも、せめて何が起こっているのか、背景には何があるのか、それぞれどのような思いを抱えているのか。

理解するためのツールやメディアは溢れています。でもそのツールやメディア自体が「偏って」いたら?それこそ「正しい」理解はできません。ツールやメディアが人の手によって作られたものである以上そこには作り手の考えが多少なりとも反映されます。それを読む自分の考えも徐々に染まっていく…完全に「フェア」な情報を得ることは難しいのかもしれないと考えると、怖いです。

 

せめてできることはないか・・・

 

Black Lives Matter の背景にあるとされるSystemic Racism の解説動画を見ました。勉強になる!と思うものの、果たしてこの動画はfair なのか。この動画を「正しい」と理解することで更に誰かを傷つけることにはならないか。いてもたってもいられず、唯一の黒人の友人に勇気を持って聞いてみました。この動画はfair ですか?と。

https://www.youtube.com/watch?v=YrHIQIO_bdQ

回答はpretty good. とてもよくできた説明だそうです。一人に聞いただけとはいえ当事者の人がそう感じるのであれば、安心してこれを元に勉強して良さそうです。他の人にも見て欲しいです。