筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

車いすへの目線

アメリミシガン州にて)

アメリカより日本の方がいいなと思うことも色々ある一方で、その反対もたくさんあります。

そのうち最も大きなことのひとつは、車いすに乗った時の人々の目線や対応です。

空港や街中で車いすに乗っていると、日本では視線を感じます。「じろり」という感じです。目が合うとそらされます。「見てはいけない」という感覚があるのではないかと思います。

一方アメリカでは、車いすであろうと特に視線は感じません。「車いすなんですけど(ご迷惑ではないですか)」というと「あっそ」という雰囲気でよくも悪くも特別扱いされない感じです。目が合った場合「にこり」としてくれることもありますが、それは別に車いすだからではなく、人と人が出くわして目が合った時に発せられる「Hello」と同種のものだと感じます。

街中で車いすの人に出会う確率も、日本よりずっと高いです。道でもスーパーでも量販店でもお祭りでも、多くの車いすの人が自分で、あるいは押してもらって「普通に」行き来しています。日本と比べて道幅やお店が広いという事情もありそうですが、少なくとも精神面では「人はそれぞれバラバラ」「人は違って当たり前」がベースにあり、

そのひとつの「特徴」として車いすに乗っている、という感じで受け止められているように思います。

日本では車いすに乗って出かけることに躊躇する気持ちがありました。それは道が狭いとか段差が多いといった物理的な理由だけではなく、「人の目」という理由もとても大きかったです。「迷惑かな」「変に思われるかな」と、私自身が縛られていました。頭では「心のバリアフリー」を理解しているつもりでしたが、甘かったです。人種や民族が多種多様で見た目からしても様々な人が存在するアメリカと、どうしてもある程度似た見た目の人が多い日本(もちろん色々な状態の人がいらっしゃいますが)とでは、「人はそれぞれ違う」ことが実感として腑に落ちる度合いがどうしても違うのかもしれません。それを感じることができただけでも、体にムチを打ってアメリカにやって来て良かったと思います。

道幅など物理的な面を変えるのは至難の業ですが、心のバリアフリーを進めていく方法を探るなど、私にも何かできることがあったらいいなと思います。