アウトプットと自己肯定感
闘病生活が長いですが、何かしらの勉強や努力は続けなくてはと思い続けています。英語のラジオを聴いたり新聞を読んだり。とてもしんどくて5分聴いては、あるいは読んでは、数時間ダウンするを繰り返し、1日経ってでできたことが「なんとか新聞を読んだだけ」という日もたくさんありましたが、それでも「何もできない自分のままいる恐れ」「社会から取り残される不安」が強いのです。そのことをほめてくれる人もいますが、いつまで経っても自己肯定感が生まれません。私の自己肯定感のなさの原因としては子供の頃のいじめや思春期に同級生から否定されたこと、そして病気などあると思いますが、どうしていつになってもほんの少しの自己肯定感をも得ることができないのでしょうか・・・病気が治るまでは自己否定感とともに生きるしかないのでしょうか・・・
そもそも病気が治れば、あるいは今よりもう少しだけでも自分の思うように動けたりする日が増えれば、私の自己肯定感は増幅するのでしょうか。
最近思うのは、勉強にしてもインプットなんですよね。しんどいながらもインプットはできる限り続けてきました。でもアウトプットを全くしていないのです。だから「私には〇〇ができる」と思えず、いつまで経っても自己肯定感が生まれないのではないか。対価を頂ける仕事の意義はそこにあるのではないかと思います。でも対価を頂ける仕事じゃなくてもいいんです。誰かの・何かの役に立ちたい。「ありがとう」といってもらえる経験をしたい。そのために、何か、できることを探して、少しずつでも歩み始めたいです。