筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

車いすへの目線

アメリミシガン州にて)

車いすに乗っている際の人からの目線について以前も書きました。日本ではじろりと見られ、でも目が合うとそらされます。こちらでは特にじろりと見られることもなく「普通の人」のように扱われる一方、目が合うとニコリとされたりHiといってもらえたりします。その「目が合うとニコリとする」「Hiという」という行為自体が車いすじゃない人同士でもする「普通」の行為なので、この場合も他の人たちに対するのと同様の行為をとってもらえたということになります。つまりいい意味で「特別扱い」されないと実感します。

 

一方、小さな子供がエレベーターで私のために開くボタンを一生懸命押し続けてくれたりします。かわいくて嬉しいです。

 

土地の広さが違うので車いすに対する物理的な受け入れ余地が違うという理由もあるとは思いますが、ハンディキャップを持っている人に対する人々の「気持ち」が違うように感じます。英語の先生に聞いたところ、アメリカではハンディキャップがある生徒も可能な限り同じクラスで授業を受けるのが基本姿勢だとのこと。それぞれの事情で一部個別のクラスになることももちろんありますが、ハンディキャップのある生徒が「普通に」学校内、クラス内に存在している環境で子供は育つそうです。ほぼ全ての人が、成長過程でハンディキャップのある人を身近に知っていることになるそうです。人は「知らない」存在に怯えるもの。「知っている」ことがもたらす影響は大きそうです。

 

更に、「〇〇ちゃんは算数が得意」「〇〇ちゃんは体操が苦手」と同じような意味合いで「〇〇ちゃんは車椅子に乗っている」と捉えるそうです。文字通り「個性のひとつ」ということですね。「健常者か障害者」という2つのカテゴリーで捉えられがちな日本とはかなり違うように思いますが、アメリカには「人はそれぞれ違うもの、むしろ人と違うことが素晴らしい」という価値観が根底にあることも関係ありそうです。日本では「みんな」VS「みんなと違う人」という視点が存在します。それは強みにもなりますが、個人的にはアメリカの文化が居心地良く感じます。