筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

有名な若手俳優自死のニュースに気分が沈み、ALS患者の方が「殺害」される事件のニュースに考えさせられています。。

私も、生きているのは辛くて虚しいです。第一義的には体のしんどさに対して。第二義的には、そんな、思うように動けず思うように働けない状態でいることに対して。そんな状態で生きてていいのか、生きる価値があるのか、何のために生きているのか。

ですから最初にこのニュースを目にした時に思ったことは、「そりゃ生きてるの、辛いよね…」ということでした。元々活発でキャリア志向だったのは自分も同様です。そういった人が思うように動けない辛さや虚しさは自分も常に感じています。そう考えると、少なくない人が「本人の死にたいという気持ちに寄り添うべき」「安楽死認めるべき」と考えることに同意する自分がいました。今の自分でも生きるのが辛くて虚しいのだから、もっと動けなくなったら自分も一層死にたいと思うと思うからです。

しかしその後、日本障害者協議会の談話を読み、そんな風に感じた自分の気持ちこそ、「病気の状態で生きてるのは辛くて情けないこと」という社会の考えの影響を受けているのかもと気づかされました。みんなが「その状態ではそりゃ辛いね」「死にたくなるよね」と「分かってくれる」と、それはつまり、「その状態は情けないこと」だと「認められてしまう」ということですよね?それって、、、体のしんどさ以上に辛くて悲しいことのように思うのです。自分ではそう思っています。いわれなくても。ただ、周りの人にも「そうだよね」といわれると、「やっぱりそうだよね・・・情けない状態なんだよね、私…」と更に落ち込む気もするのです。「辛いことを分かって欲しい」という気持ちもあるので非常に勝手ではあるのですが。。

そう考えてみると、健常者でそもそもしんどくもない人が、本人の気持ちを想像するだけで「寄り添うべき」というのは違う気がし始めました。例えばこの方もブログに死にたい気持ちを綴ったり、死ぬための手はずを色々整えていたようです。「死にたい」気持ちは本当に持っていたのだと思います。そうだとしても、もし仮に誰一人として「そうだよね、死にたいよね、協力するよ」という人がおらず、みんなが「生きて」といっていたら、「しんどくて辛くて虚しいけど、生きていいんだ」と少しは思えたかもしれないとも思ったりするのです。請け負う人が出てきたことで、ああやっぱり死ぬに値する状態なんだと確信してしまったとか・・・これも全て仮説でしかありませんし、ご本人しか真実は分かりません。ひょっとしたらご本人も真実は分からなかった可能性もあります。ただ、少なくとも、周りの人が「〇〇すべきだった」「〇〇はまちがっている」などと簡単にいえないことだと思うのです・・・

 

しかしこの後、この女性に意識や聴力がある状態で視力を失う完全閉じ込め症候群(TLS)の症状が出ていたというニュースを読み、揺れています。。意思疎通として用いていた視力までなくす恐怖…しかも意識と聴力はあるという…はあ・・・