筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

闘病生活とコロナ

以前も書きましたが、コロナに対する世間の人の声を聞いて、私は相当、外出できないことに慣れているなと思いました。外出できないだけでなく、自分の行きたいところに行ったり会いたい人に会ったり動きたいように動けないのはある意味「当たり前」なんですよね。「いつ終わるか分からないのが不安」という声もよく耳にしますが、それは病気も一緒ですし。それどころか私は無意識で「コロナが収束しても病気は治っていないだろう」と感じているから、コロナに対して「いつ終わるか分からないのが不安」という感覚は持っていないことにも気づきました。
そう考えると悲しい人生だなとも思い、悲しくなったりもしました。
 
という話を知り合いにしたところ、
コロナでなくても外出は制限されるし、終わりが見えないのは一緒といっていたことについて奥が深いというか、考えさせられたというか、心に残っています。」とお返事をくれました。「日本も少し前までは感染者がこのまま増え続けるのかどうかもわからず、外出できない状況も続き、経済的にひっ迫してくる人も多かったというのもあって、NHKなんかはテロップでずっと首都圏の各自治体の心の相談室の電話番号などを流していました。いつかわからなくてもいつかは終わるであろうコロナの状況でも文句を言ったり、心を病む人がいる中で、ずっと病気と向かい合い続けているすごさを改めて感じました」と。
 
私の愚痴をそんな風にいってくれるなんてありがたいです。
私にとっては闘病生活が長いことを突き付けられたわけで情けなくて悲しい以外の何物でもないのですが、「奥が深い」とか「考えされられた」なんていってくれる人がいる、ということが目からうろこでした。私は働きたいとずっと思っていますが、今後何らかの形で社会貢献できることがあるのであれば、病気をしたからこそのこういう感覚や経験を生かせる道があったらいいなと思いました。そしたら20年以上の闘病生活が少しでも報われる気もするのです・・・
 
以前同様病院に行けない状態が続いており、かなりきつい日々を過ごしています。ただ、これも単に「体調不良で出られない」よりは、「まあコロナだし」という理由も今は加えることができるので、情けない気持ちや悲しい気持ちは減るように感じます。出られないのは病気のせいだけじゃない、私だけじゃない、といい聞かせることができますので。