筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

いつまで続くか分からない不安、コロナよりも・・・

コロナウィルスが猛威を振るっています。

ミシガン大学医学部附属病院で週に2回受けていた鍼治療も、3月半ばから受けることできていません。アメリカへ来てから以前より体調が良くなったのは鍼のおかげが大きいと感じていましたし、実際に徐々に倦怠感がひどく、辛くなってきていて不安です。

 

「病院行くのがキャンセルになった」ということを伝えるとほとんどの方が「病院行くの(感染リスクが)不安だもんね」といって下さいますが、実はそれに対してずっと違和感のようなものを感じていました。ネガティブなものというよりは「ぴんと来ない」感じです。

その正体は、「コロナに感染するかもしれない不安」よりも、「(受診できないことで)また以前のようにしんどくて何もできない状態になることへの不安」の方が大きいのだということに気づきました。もちろんコロナに感染するのは冷静に考えると不安なのですが、それ以上に、「ああ、またあの、原因も分からず治療法もないとてつもなくしんどい毎日に逆戻りなのか」という不安、恐怖、悲しみの方が大きくて、「コロナに感染するリスクがあっても受診したい」と思ってしまっていたのです。筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と違いコロナは移るので自分勝手なのでしょうけれど…

 

また、インタビューや友人のメールの中に「いつまで続くか分からないから不安」というコメントもよく見ます。正直これもピンと来ていませんでした。残念ながら家から出られない状態に慣れており、20年以上の闘病生活中には週に数回外出できる時期もあったものの全く出られない毎日が5年ほど続いた時期もありましたので、「たった数週間」「たかが数ヶ月」という感覚があるのだと思います(決してみなさんに押し付けようというのではなく私にとって、という意味です)。

更には、「終わりが見えない」状況は病気も同じで、むしろ病気の方がコロナより一層終わりが見えないと(無意識に)感じているんだなという悲しい事実に気づいてしまいました。コロナの収束の方が病気の治癒より先に訪れる、つまりコロナが終わっても病気はまだまだ続くということが私にとっては「当たり前」なんですよね・・・なんだか悲しい人生だなと思ったら泣けてきました・・・

*これは友人がコロナについて「終わりが見えないって怖いね。〇〇ちゃん(私)はずーっと闘病生活してるでしょ?その辛さがちょっっっとだけ分かった気がするよ」というメールをくれたことで顕在化しました。私の状況自体は悲しいものですが、こんなことをいってくれる友人がいてくれることをありがたくも思いました。

 

更に更に、今世の中の人が抱えているストレスのうち大きなものとして「行きたいところに行く」「会いたい人に会う」ことができないストレスがあると思うのですが、その「〇〇できない」ストレス、私はもう20年以上当たり前に抱いてきた思いなんだよね…と実感することも悲しみを誘います。本当に悲しい。。。何のために生まれてきたのかなあ。。。とすぐに考えてしまいます。。。このところ調子が悪いせいか思考回路もネガティブです。ネガティブな自分をだめだだめだと思わないように気をつけつつ(ネガティブな自分を受け入れる方向を目指しています)、なるべく顔を上げて頑張っていきたいと思います。