筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

人を「信じる」という意味

日常生活でもドラマの中でも「信じる」「信じて」というセリフを耳にします。

単語自体はポジティブな表現ですが、たとえば「私のこと信じて」の「信じる」と、「親が子供を信じることが大切」の「信じる」は全く同じなのだろうかとふと考えます。若干違うような気がするのです。前者は「僕がいっていることを信じて」というニュアンスですが、後者は「(たとえ子供が一時的に悪いこと(嘘を含む)をしたとしても)親は子供を信じる」という文脈で使われます。

また自分のことをそれほど好きではない女性と付き合っている男性の友人が、「彼女は他の人とデートするかもしれない。でも人間的にひどいことはしない人だと信じている」といっていました。その「信じている」はどういう意味なのでしょうか。

 

気になって分析してみました。

 

人を「信じる」とは

①その人がいっていることが「正しい」と信じる

その人自身が変なことをしないこと、その人は「ちゃんとした」人であること、その人は「できる」「大丈夫」である能力・キャパを持っていることを信じる

③その人が自分のことを大切にしてくれることや裏切らないこと、自分の不利になることをしないと信じる

の3種類に分けられるのではないでしょうか。

 

親が子供を最終的に「信じる」のは②が大きそうですし、「浮気なんてしてないよ、信じてよ」は①(場合によっては②③も)。

上記友人は、③の意味では彼女を信じていないけれど②の意味では信じている、ということになるのかなと思いました。

 

まだあやうい分析ですので、もう少し続けたいと思います。