筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)で辛い日々…でも社会復帰したい!

20年以上にわたり筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と闘いながら考えたことを整理しています。時折ひとりごと…

冬の暗さとサマータイム

アメリミシガン州にて)

今年は暖冬だそうですがそれでも雪はよく降ります。晴れて雪が降っている日もあることはありますが、基本的に冬は暗いです。イメージとしてはイギリスの冬。

その上、日本と比べると家の中の明るさが圧倒的に足りません。ホテルなどに間接照明のランプしかないのはご存知の方も多いかと思いますが、賃貸用アパートでも、そもそも天井にライトがない家が多いのです。

我が家ではスタンド型のライトを複数買い足しましたがそれでも暗い…私は病気のためにまぶしいのが苦手で日本では1年中カーテンを閉めて暮らしていたのですが、そんな私ですら「暗すぎる」と感じるほどです。日本の蛍光灯の光(白い光)に慣れた身としては、こんなに暗い電球色(オレンジ色の光)の元で本を読んだりパソコンを見たりして、アメリカ人は目が悪くならないのかしらと不思議で仕方ありません。

 

外も暗い、中も暗い、これでは気が滅入ります。鬱になりそうです。北欧では日照時間の少ない冬に鬱になる人が増えるそうですが、その気持ちが分かる気がします。

 

それに加えサマータイム・・・11月にサマータイムが終了した際に時計の針が1時間戻されました。すなわち、今まで「午後6時だ、暗くなってきたね」と感じていたのとまさに同じ時刻、翌日から「午後5時でもうこんなに暗い・・・」となってしまうのです。ただでさえ日の入りが早くなっている時刻にサマータイムの終了が重なるため、急速に季節が進み、急激に暗くなった印象を受けるのだと思います。サマータイムのない日本から来た私としてはこの仕組みもまた鬱を助長すると思うのですが、その点どうなのでしょうか…

independent でいること

アメリミシガン州にて)

「配偶者の転勤について来た妻」がたくさんいます。いわゆる「駐妻」という存在です。私自身もそれにカテゴライズされるのですが、私はこの言葉、ひいてはこの状況がどうしても嫌なのです。

元々キャリア志向だったこともあり、自分の力で海外駐在したかった・・・あるいはMBAなどで海外居住をしたかった・・・

誤解されては困るのですが、専業主婦の方をどうこういっているのではありません。むしろ尊敬しています。「仕事したいかしたくないか」「結婚したいかしたくないか」など人はそれぞれ違うと思いますし、何が正しくて何が正しくない、なんてことは一切ないと思っています。

ただ単に、私は仕事がしたかったのです。結婚はしたくなくて、もしするとしたら専業主夫になってくれる男性がいいと思っていました。それが体調面で叶わず今に至るために、堂々と「夫の仕事について来ました」といえない、いいたくない自分がいるのです。

 

でもそんな自分に負い目も感じていました。「働けもしないのに自分の力で来たかった」なんて、どの口がいうんだ、と。日本では「かわいげがない」と認定されるタイプです。

 

しかしその私の感覚をアメリカでは尊重してもらえるのです。「尊重」なんて大げさなものではなく、「働きたい人もいるよね」「夫について来るのではなく、自分の力で来たかった人もいるよね」って単純に「受け入れて」くれる感じ。

私が正直に「夫について来たっていいたくないし、その状況には複雑な思いを抱えている」といってみたところ、「あなたはインディペンデントでいたいのね、それはナチュラルな感覚よ」といってもらえました。

自分の「かわいげのない」ところに負い目をずっと感じて生きてきた私は、その一言で急速に救われる気がしました。大きく息を吸えるような感じです。「あるがままの私でもひょっとしていいのかも?」って初めて感じられた…涙…

今までも時折感じてはいましたが、私にはアメリカの方が住みやすいのかもしれません。インディペンデントでいることを良しとしてくれる、女性にかわいげを求めない、人はみなバラバラで違っているのが当然で自然なこと、など・・・日本に戻ってもこの感覚を忘れないで自由に生きていけたらいいな・・・

Uber Lyft drivers との会話

アメリミシガン州にて)

体調的にほとんど外出できず人との交流が限られる私にとって、通院時に利用するUberLyft の運転手さんとの会話は貴重な機会です。よほどしんどくて意識が朦朧としている時以外はなるべく話そうとしています。

 

利用するまでは「タクシー免許のない一般の人の車に乗るなんてどうなんだろう」と思っていましたが、大変便利・・・!台数が多いのですぐに来てもらえますし、乗る前に目的地を指定するため行先を間違えられる心配もなく、支払いもアプリに登録しているカードで乗車後に行われるために車内での現金のやり取りもなければぼったくられる心配もないのです。呼んで、乗って、降りるだけ。日本でもぜひ欲しいサービスです。

 

お国柄かもしれませんが、運転手さん(一般の方)は基本的にフレンドリー。黙っていたければもちろん黙っていればいいですし、話しかけると陽気に答えてくれます。

 

運転手さんと話していると、本当に色々な人がいることを実感します。

 

中東出身で、出身国ではご夫婦ともに教師でそれなりにいい生活をしていたものの、自身はキリスト教徒。イスラム教徒が9割以上を占める母国で「キリスト教徒というだけで殺されるからアメリカに来た」とおっしゃる方がいました。「国に帰りたいけど難しいだろう」と悲しい顔をしていました。日本にいる間は宗教やそれによるキナ臭いできごとは「海の向こうの話」とどこかで感じていましたが、こういった話を身近に聞くと「あぁアメリカにいるんだな…」と感じます。なんとなく「甘く」「ふわふわと」生きてきたことを恥ずかしくも感じ、身が引き締まる思いです。

 

また自己免疫疾患を患っているという方にも出会いました。痛みや怠さの症状に波があるから一般的な仕事は難しく、体調がましな時だけ働いて収入を得られる運転手の仕事がとてもありがたいとのこと。同じ自己免疫疾患を患っている身として心から共感しました。私も、しんどくない時だけ働いて収入が欲しいと切に思うと同時に、この方の体調が少しでも良くなることを願わずにはいられません。

笑うと免疫力が上がる?

以前も書きましたが、「笑うと免疫力上がるらしいから笑っていこう」とよくいわれます。闘病仲間同士で励まし合うならともかく、健康な人にいわれると複雑です・・・悪気がないのは分かりますし、励ましてくれてるんだろうなと思えばこそ、自分の狭量さに落ち込む悪循環です。

健康な人には分からないかもしれませんが、笑うのもしんどいんです・・・笑うのも体力消耗するんです・・・

 

ただ、物理的に口角を上げるとNK細胞が活性化して体調にもいい影響があるという論文を読んでからは、「笑う門には福来る」的な精神論で笑えといわれるより楽になりました。そのような合理的な理由があるならば、無理しても笑う価値があるのかもしれません。 

バカなふり

時代のせいかもしれませんが、私が学生の頃や社会人だった頃(2000年前後から2000年代)、「頑張ることや一生懸命なのはちょっとかっこ悪い」「特に女の子はちょっとくらいバカな方がかわいい(賢い女性はモテない)」というのが通説でした。大きな声ではいわなくても、男性の中には「自分より頭のいい女性は遠慮したい」という空気があったと個人的には思っています。

 

私は東京大学出身ですが、大学名をいうと一般的に「引かれ」ます。学生時代は大学名をいうと「あ、そうなんだ・・・」という空気になりましたし、「世界が違う」といわれたこともあります。就職時には「東大卒の新入社員はいらない」とはっきりいわれたこともありました。直接会ったことのない人からです。とてもショックでした。そのため、「分かりません」「何も知りません」などと、バカなふり、知らないふりをするのが私にとってデフォルトになっていました。その方が嫌われなかったのです。

頑張って受験勉強をして入ったのに私にとって大学名はコンプレックスで、ずっと隠して生きてきました。そんなこと気にせず堂々としていれば良かったのですが嫌われたくなくて…

 

アメリカでとてもいいなと思うのは、頑張ることをよしとする価値観が根底にあることです。それは日本の古い企業にあるような精神論(「熱があっても気合で下げろ!」みたいな)とも異なり、本質的に頑張ること、努力すること、学ぼうとすることを評価してくれます。

また女性でもintelligent であることが評価の形容詞として選択される点が日本と違うなと感じます。バカなふりや知らないふりをしなくていいのです。頑張っていることも知っていることも隠さなくていいのです。日本での誉め言葉は「女性らしい」「優しそう」「上品」「やわらかい雰囲気」というのが大半で、若干フェミニストのケがある私としては悩んできたのですが、intellgent といってもらえると心の底から嬉しいです。できることを頑張ろうと思います!

病気と付き合っていくということ

私の病気は慢性病です。付き合っていかないといけない病気なのかもしれませんが、「治ること」を諦められていません。今は治療法がありませんが、「いつか元気になって普通の生活をしたい」とどうしても思ってしまいます。

そんな中、いわゆる健常者の知り合いに「病気と付き合っていかなきゃ」と言われ、大変複雑な気持ち、とても悲しい気持ちになりました。

病人である本人の中でも葛藤があり、「覚悟して、病気を受け入れて付き合っていかないといけないのだろうか」と日々悩んでいます。それを他人、ましてや特別な病気を持っていない人にいわれた時の悲しさ、複雑さといったら・・・「健康なあなたに何が分かる…(涙)」と思ってしまいました。私の心が狭いのでしょうか。。。

好きな服を着るのでいいじゃない!!

アメリミシガン州にて)

日本では、「40代にNGな服装はこれ!」とか「4月に厚手のコートは野暮ったい!」とか、そういった特集をよく目にします。

正直、うんざりです。海外かぶれと思われたくないのですが(このあたり、まだ私が人目を気にする典型的日本人を脱却できていないところ)、好きな形、好きな色の好きな服をどんどん着られる日本になって欲しい!!!と切に願います。

 

アメリカではわりとご高齢のご婦人方も、明るい色のトップスや短いスカート、体のラインに沿ったワンピースなどを「普通に」着ています。「この歳でこの格好は恥ずかしいかしら」なんて価値観が元々なく、堂々と(現地の人にとってはあくまでも「普通」に)着ています。楽しそうで、明るくて、とても素敵です。私が明るい色のニットを着ていたりすると「素敵ね!」と褒めてくれたりもします。そのような環境にいると「年齢に囚われず着たい服を着ていいんだ」って感じることができて嬉しくなります。解放され、自由な気持ちです。

 

年齢に囚われないだけではなく、「この季節にこの服装は暑苦しいかしら」というようなことも気にしなくなりました。そもそも色々な人種がいて体感温度もまちまちなんですよね。マイナスの気温でもダウンの中は半袖!という人たちを見ると、「今の季節はこの格好が標準」なんて考え自体がナンセンスに思えます。「世の中の標準に合わせなきゃ」という考えが存在しないというのは、経験してみると大変楽なものです。今までいかに「流行り」「普通」に囚われていたのか思い知りました。「見た目はもちろん、中身も人はみんなバラバラである」ということを日本にいるより強く感じる経験は、私にとって貴重なものとなっています。体調面でアメリカに住むのは不安が大きかったですが、今は感謝しています。

 

もちろん治安面などからいかにも日本人として目立つのは避けた方がいいケースもあるかとは思いますが、したい格好をどんどんしていきませんか。「40代になると膝の上も二の腕もたるんでくるから、膝丈スカートやノースリーブはNG」「Vネックはイタい」なんて記事は悲しいです。それらに洗脳されて委縮するのはもったいないです。こういった記事を無視する読者が増えて、記事自体がなくなっていくことを願います。素敵!と思える服に出会ったら、「若作りかな」「イタいかな」などと気にせず堂々と楽しめる文化になりますように。

 

「ちょっとしたこと」がしんどい

「ちょっとしたこと」がしんどいです。通院など大きなイベントは気が張っているのかなんとかこなせることも多いですが、日常生活の「ちょっとしたこと」がとても辛いのです。

そのような「ちょっとしたこと」というのは、健常者の方にはなかなか理解しづらいと思います。以前の私は「〇〇するのがしんどい」ということを人にいわないでいました。傍からはきっとそこまでしんどそうに見えないことが負い目だったんだと思います。「元気そうなのに気の問題なんじゃないの」といわれることを恐れていたのです。

しかし先日、知り合いと食事に行く時間を相談している際、「15時のランチでも16時の夕食でもいいよ」といわれ、思い切って「朝昼夜の食事の時間をある程度一定にしないと胃痛やだるさが起きるんです…」といってみたのです。「めんどくさいなぁ」といわれるかと不安でした。すると彼女は、「教えてくれてありがとう!私みたいな健康な人間はいつ食べても大丈夫って思ってしまってるけど、あなたのようにしんどい人にとって何が辛いのか、教えてもらえてありがたい」といってくれました。「そういうのは、しんどいからこそ持っている情報だよ!」とまで。

感動しました。長年闘病生活で、自分は何も知らない、何もできることがないと思い続けていた私にとってその一言は、「私にも何かできることがあるのだろうか」と初めて思えた経験だったのです。

それ以降、「病気でも何か得たものはあるはず、将来生かせばいいんだ、できることをやろう」といい聞かせるようになりました。くじけることもありますが、前向きに頑張ります。

 

「ちょっとした動き」がしんどい・・・備忘録に書いておきたいと思います。

・ちょっとティッシュ取ること

・車の助手席で、座面から少し背中を離し左前方のドリンクホルダーのドリンクを取ること

・下の段の引き出しを入れ出しすること(ちょっとしゃがむのが辛い…)

・手を伸ばしてスイッチを押すこと

・背もたれなし椅子やスツール

・玄関からリビングへの動線がまっすぐでないこと。体を何度かねじらないといけない

・ドアの開け閉めの際に一歩後ろや一歩横へ動かないといけないこと

・スリッパを脱げないように履き続けること

・タクシーを目的地の反対車線で降りること(横断歩道を渡るその数歩が辛い)

・タクシー乗る前に「ちょっと」ポスト投函したり「ちょっと」コンビニ寄ること

etc.

いつか、「そういえば昔はこういうのひとつひとつが辛かったなぁ」と思えるようになりたいです。。。

 

日本に帰国して感じること②

引き続き日本に帰国して感じること。

 

日本では車に酔います。元々車酔いはしやすくて不思議ではないのですが、アメリカでは思いのほか酔わなかったのですね。その差はきっと、日本は道が狭く、人や信号が多いからだと思います。ちょっと進んでは減速し、またちょっと加速し、、、その、ブレーキを踏んだり離したり、の加減速で酔ってしまうのです。アメリカは全体的に運転も「雑」ですが、広い道をとにかく飛ばすのみ!という感じなので酔いにくいのでしょう。ニューヨークなどの大都市は全く異なるでしょうが、広くて信号の少ない道はいいですね。

 

日本のタクシーは許認可制で白タク(一般の人がお客を乗せること)は禁止されています。つまり日本のタクシーは全員が「プロ」のはず。その割に運転が荒かったり、感じが悪かったりする人が非常に多いです。タクシー会社にも個性があって社風もかなり違うので一概にはいえませんが、がっかりすることも多いです。

アメリカのUber は基本的にみな一般の人ですが、感じがいいです。総じて明るいです。まあこれは、プロだから一般の人だからという話ではなく、人と接する際の朗らかさに関するお国柄かもしれませんね。

 

そして以前も書いたように、日本は対応が丁寧過ぎます…ちょっと問い合わせの電話をするだけで「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。」「〇〇です。」「ありがとうございます。次のご住所をお伺いしてもよろしいでしょうか。」の繰り返し…長い。せっかちな私はイライラしてしまいます。愛想も何もないものの、Name?Address? で先に進めるアメリカの効率の良さが、私には合っているようです。

日本に帰国して感じること

日本は素晴らしいです。コンビニのスイーツのレベルの高さ、安くておいしい定食屋、時間通りに来るリーズナブルな電車、カフェや病院で鞄を椅子に置いたままちょっと席を外せる治安のよさ、挙げたらきりがありません。

 

ただ、久しぶりに帰国するとネガティブに気になってしまうことも多々あります。

 

人にぶつかった時にムッとしたりイラっとしたり無言で睨みつける人の多いこと多いこと・・・明るく大きな声でソーリー!って感じのアメリカに慣れ始めていたので悲しくなってしまいました。

 

コンビニや空港の列で待っている時や、何かが予定より遅れている時の「イライラ感」もすごいですよね。眉間にしわが寄っている人が多いです。

レジに長い列ができている時、日本ではイライラしている人多いですよね。「まだか?」って空気が充満しているというか。ですので自分の番が来た時は後ろの人を気にしてすごく焦って急いでしまいます。一方アメリカではイライラしている人を見かけたことがないのです。自分の番が来ると、後ろで人が待っていてもゆっくり会計したり、店員さんとおしゃべりしている人もたくさんいます。それに対して「早くしろよ」的な雰囲気も生じません。アメリカ人は「時」に対するコスト感覚が日本人よりシビアでせっかちと思っていたので意外でした。

アメリカで飛行機の出発が遅れた時も「まじかー」みたいな雰囲気は多少ありましたが、「ほんと困っちゃうよねー」という「陽」な感じ。それに対して今回日本で出発が遅れた際はイライラ、ため息、怒声などで「陰」の空気が蔓延していました。

 

ブロードウェイ劇場が停電で公演休止となった際、劇団員が劇場の外に出て即興で興行を行っており(もちろん無料)、そのおおらかさ、朗らかさに驚いたことを思い出します。日本だったら「チケット購入したのに観られないお客様にどう説明するのか」「スタッフのギャラはどうするのか」「道路での安全確保は?許可は?」などなど考えて実現しないでしょう。そもそも「劇場内でできないなら外行っちゃう!?」という発想がない気がします。停電が長引けば「疲れた…」「まだぁ?…」「やってらんない」という空気が大勢を占めるのではないでしょうか。日本人の真面目さや「きっちりしていること」は大好きですが、一方でアメリカ人の「雑さ=おおらかさ」に救われることも多く、見習いたいと感じます。

 

もうひとつ。

私は働きたい働きたいと思い続けていますが、日本に来るともうダメな気がします…「もう遅い」と感じてしまうんです…なぜでしょう…アメリカの方が歳を取ってから何か始める人と話すことが多いからでしょうか。40代50代それ以上でも起業したり大学に行ったりする人が非常に多いです。あるいは具体的な話を聞かないとしても、「歳を取ること=諦めること」って雰囲気が日本より少ないのかもしれません…日本に戻ると、何となく焦るし諦めた感じになるのです…仕事に限らず、「いろんな人がいていい」って感覚や空気が少ないのも大きいかもしれません…

あと単純に「若さ」に価値をおく空気が日本にはありますよね。ビジネスだろうと見た目だろうと存在そのものだろうと。アメリカのCMやポスターはおじさまおばさまが多くてアイドル的なのは皆無であるとか、キャスターも「若くて綺麗」より「優秀で経験豊富」な人が選抜されるとか、ドラマに採用される俳優陣も見た目の美しさより演技力が大事だとか。ニュースや広告、テレビやネット記事の内容なども、日本は基本的に若さや見た目を褒めるものが多いですよね。そういうひとつひとつの積み重ねがこの「空気」を作っているのではと考えてしまいました。潜在的なものの影響って大きいんだろうなと実感します…その「空気」に負けず、諦めない気持ちを持ち続けたいです。